浦岡 正義

伊予物語

14. 江戸時代の武士道

鎌倉以来400年間、武士という名の武闘集団は他人の領地をめぐる略奪戦を繰り返してきた感がありますが、明日をも知れぬ戦場の緊迫のなかに武人の道ともいうべきものが生まれました。 兵(つわもの)の道とか弓矢とるものの習いといわれるもので、敵にたい...
伊予物語

15. 陽明学の祖 中江藤樹

中江藤樹は伊予が生んだ江戸時代を代表する大学者のひとりです。 彼はもともと近江の出身ですが10歳のとき、祖父の主君加藤貞泰の転封に伴い米子から大洲へやってきました。 大洲藩士となった中江藤樹は、独学で四書十三経、哲学、宗教、医学、文学に精通...
伊予物語

16. 江戸時代 伊予の生活

江戸時代以前、庶民の住居は土を掘って柱を立てる簡素な掘立小屋が大半でしたが、江戸時代に入って伊予でも礎石の上に柱をたてる耐久性の強い住居がつくられるようになりました。 武士の住む武家屋敷の多くは床の間・座敷・茶室・庭をもつ書院造りで、これは...
伊予物語

17. 江戸時代 伊予の産業

江戸時代には北前船といって大阪から下関を通り日本海を北上し蝦夷にいたる裏日本ルートが主要航路でした。 まず大阪で木綿と砂糖を積み込み、灘で酒、赤穂で塩を買いつけ、伊予で蝋や鬢付け、長州中の関(現在の防府)で米・紙・蝋、下関で繰綿を買って北上...
伊予物語

18. 幕末の伊予

ペリーの恫喝外交に屈した幕府は日米和親条約を締結し、200年続いた鎖国はあっけなく終わりを告げました。 老中安部正弘は朝廷に報告後、大名・旗本に意見を求め挙国一致体制を組みますが、これがかえって幕府の権威をおとしめ、朝廷の権威を高めることと...
伊予物語

19. 明治時代の伊予 (1)

明治維新は薩長による軍事クーデターです。 エネルギーの中心となったのは水戸学で洗脳された武士たちで、突然自宅に土足で上がりこんだ不審人物を追い返そうとするがごとき“尊皇攘夷”という名の情熱が倒幕を可能にしました。 しかも、旧時代の支配者であ...
伊予物語

20. 明治時代の伊予 (2)

薩長の下級武士が主導した革命政権は、自分の立場を正当化するため、江戸封建体制は誤ちであったと断罪する必要がありました。 このため、徴兵制を採用して国民皆兵とし、武士の存在価値をなくしてしまいました。 そのうえで士族を廃して四民平等とし、職業...
伊予物語

21. 秋山真之の戦略

人は人生のある瞬間、想像を絶するほどの燃焼をすると、そのあと緊張の糸が切れ、燃え尽きたかのようにひっそりとした人生を送るような気がします。 明治37年、秋山真之は日露戦争における天王山、日本海海戦の作戦のすべてを任されていました。 作戦に失...
伊予物語

22. 大正時代の伊予

政府は明治38年(1905年)の日露戦争終了後も依然として軍事費を増強していたため、国民生活への負担は多大なものがありました。 大正3年(1914)第一次世界大戦が勃発しました。 日本は、日英同盟によりイギリス政府からヨーロッパ戦線への参戦...
伊予物語

23. 昭和戦前の伊予

関東大震災で関東全域が沈滞するなか、昭和2年(1927年)、大蔵大臣の失言に端を発し、東京渡辺銀行が倒産。 日本金融恐慌が始まります。 当時の日本の輸出は4割を生糸・絹が占めており、その9割はアメリカ向けでした。 昭和4年(1929年)アメ...
伊予物語

24. 昭和戦後の伊予

天皇からマッカーサーへ 昭和20年(1945年)8月30日、日本の統治者が天皇からGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)のダグラス・マッカーサーに代わりました。 間接統治とはいえ、我が国が史上はじめて外国人によって統治されることになったのです...
四季雑感

戌年となり

街で見かける犬についてである。 年が明け、いきなり面目をほどこしたかの如き扱われようである。 かれらも戸惑いを隠せないが、なんの数日のことである。 すぐ平穏な日々に戻る。 まわりには数多くの動物がいるが、ひとに最も気に入られている点では、犬...
四季雑感

証人喚問

耐震強度偽装問題のことである。 昨日の証人喚問を聞きながら、口語と文章語のへだたりを嘆息した。 設計を依頼したひと。設計をしたひと。それを許可したひと。建てたひと。それを売ったひと。 ことごとく証人となって、なお犯人は不在である。 舌先三寸...
四季雑感

判官びいき

NHKのドラマの高視聴率をみると、今でも義経人気は相当のものらしい。ともかく、わが日本の生んだ初めてのヒーローである。 しかし、ヒーローともなれば突如として歴史の舞台に現れ、大衆の熱望する夢を一挙に叶えるという大活躍をしなければならないから...
日本人気質

ガンと闘うひとびと

医師になってはじめて受け持った患者さんは、大学教授であった。 つい1ヶ月前までは学生身分で、教授と名のつく先生方にひたすら恭順の意を唱えていたわけだから、突然そういう立場の方に“先生”などと言われると、面食らってしまったのは言うまでもない。...
海外紀行

パリ紀行(1)

パリには、3度行った。学会帰りに2度寄ったのと、私的旅行が一度である。フランスには悪いが、あまりいい思い出がない。 1度目のパリは、日曜の朝。ルーブル美術館の前庭でいきなり話しかけてきたフランス人に、写真を撮ってやるという素振りに騙されカメ...
四季雑感

恐るに足らず近所の目

どんな社会でも、ひとりで生きてはいけぬから、まずは隣人を頼るのが世の常であった。 ところが、終夜開いているコンビニやスーパーが氾濫したおかげで、隣家の助けを求めることなど、ついぞ絶えて久しくなった。 さらに加えて、知らない人とは口をきくなと...
四季雑感

スポーツ談義のつもりが

テニス界では、今や18歳のシャラポアが大ブレイクしている。 先日も、浅越は日本を代表してシャラポアと戦っているのに、メディアはひたすらシャラポアを追いかけている。 そりゃああまりじゃないかといってはみても、シャラポアを応援して浅越を振り返ら...
四季雑感

車がゴミとなる日

車の運転を始めて40年近くになる。 以来、車は人と荷物を運ぶだけの道具と考えてきたが、昨今の世相をみるに、車は乗るためでなく、ひとに見せるためにあるのだと納得した。 この15年、同じ車を乗りつづけるのに違和感は持たなかったが、もはや排ガス規...
四季雑感

冬のソナタ

四国の田舎にいても、”冬のソナタ”はあちこちから聞こえてくるから、もはやこの曲を知らぬ日本人はいないという有様だ。 主旋律は子供でも楽に弾ける単調なしらべだが、なんといっても大ヒットの理由はドラマそのものにある。 むかし大当たりした”君の名...
日本人風雅考

技術について その2

世間に言われるごとく、40を過ぎるとノンフィクションにしか目が向かなくなっていたが、昨今、”美しい日本語”という企画で川端康成が取上げられたのを機に作品を読み返してみた。 ”雪国”と”山の音”の2作品である。 その昔「国境の長いトンネルを抜...
四季雑感

江藤新平の無念

先日はじめて佐賀を訪れる機会があった。 年来の友人に佐賀人がひとりだけおり、実直なひとだけに、なんとなく佐賀の印象がよかったのである。 強いて言えば、有田の焼き物と呼子のいかが目的の旅である。 福岡から佐賀へ入ると、一面の山野は緑に輝き、人...
四季雑感

勝負はほどほどに

オリンピックは地球規模の運動会であるから、終わればそれまでのことであって、次の大会までにはすっかり忘れてしまうのが、人心というものである。 今大会、素人目にも、シンクロやソフトの監督のオリンピックに賭ける情熱は尋常でなく、燃え尽きた後のすが...
四季雑感

退屈に耐えるということ

今や東京では、医学関連の学会や研究会が連日のごとく催される時世となった。 医学の進歩がこれだけの発表の機会を必要としている。 われわれ地方に住むものは、その中から選んで年に数回、上京するのを常としている。 飛行機を使えば1時間ほどの距離であ...
四季雑感

江戸の武士と自衛隊

一昨日、テレビでイラクに派遣されていた自衛隊員のドキュメンタリー番組があった。 今秋定年を迎えるAさんは、派遣決定と同時に、自ら挙手してイラク行きに加わった。 なんでこの時期にわざわざ危険に身をさらすのかという家族の声に対し、30年間勤め上...
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