郷土案内

愛媛県展望

西条市紹介

西条藩の成立 西条市は現在人口約11万で、愛媛県下では松山市、今治市、新居浜市に次いで4番目になります。 ところで、歴史的には比較的目立たぬ存在であった西条市が、かつてこの地を本拠とした戦国武将・金子元宅(もといえ)のお...
愛媛県展望

新居浜市紹介

新居浜市一帯は奈良時代、神野郡と呼ばれましたが、平安期に新居郡となり、その後は海岸に近い北部を新居浜と呼ぶようになりました。 鎌倉時代からは西条市と同じ金子氏の傘下で繁栄しましたが、天正13年、羽柴秀吉の攻撃をうけ金子氏は滅亡...
愛媛県展望

宇和島市紹介

「宇和島は世界有数の美しい町だと思う。四方に山があって、オーストリアのインスブルックを思わせる。段々畑になっている宇和島の山手はさらに美しく、そこから海も見える。港はフランス南部のサン・ジアンド・ルースに劣らず、絵のように美しい。」 ...
愛媛県展望

大洲市紹介

大洲市は愛媛県の南にあって、肱川流域の大洲城を中心に発展した町です。風光明媚な盆地で、古い町並みが保存されているところから、しばしば「伊予の小京都」と呼ばれています。 大化の改新以後、大洲は伊予国宇和郡に属していましたが、平安初期...
愛媛県展望

今治市紹介

今治市は県の東部、瀬戸内海に向かって突き出した高縄半島の先にできた港町で、タオルと造船が盛んな臨海工業都市です。特にタオルは全国一の生産高(60%以上)を誇り、造船も近世の帆船の時代から盛んに建造され、地元の海運業と結びついて、中小...
記憶に残る伊予人

近江聖人・中江藤樹

9歳で、両親と別れ祖父のもとへ 中江藤樹が近江国小川村で両親と一緒に生活できたのは、10年に満たない。9歳のとき、150石取りの武士である祖父から跡継ぎに指名され、両親のもとから、米子の祖父母に引き取られたのである。その原因は父と祖父...
記憶に残る伊予人

関西財界の雄 土居通夫

居合抜きの名人は、めっぽう数字に強かった 土居通夫は天保8(1838)年、宇和島藩下級武士の6男として生まれた。少年期より知識欲が旺盛で、藩校・明倫館で漢学を学び、壱岐三郎太夫に越後流軍学、不川顕賢に算数を学んだ。さらに22歳で窪田派...
伊予の風景スケッチ

石手川

たまゆらの  水辺の春は生まれけり
伊予の風景スケッチ

四国カルスト

松山を出発して南へ車で2時間半、四国山脈のただ中、地芳峠(1084m)にたどり着きます。 これより東を五段高原、西を大野ヶ原と呼んでいます。 そこから少しばかり、緩やかなスロープを標高1400mまで登りつめると、突如とし...
伊予の風景スケッチ

石手川 桜並木

ひとひらの 涅槃寂静 花に雨
伊予の風景スケッチ

石手川 桜並木

春霖や  諸行無常を 薄めけり
伊予の風景スケッチ

久万高原

小春日や  闇の向こうに わらべ唄
伊予の風景スケッチ

久万高原

落ち葉とて  所在はここと 申しけり
伊予の風景スケッチ

久万高原

寒の水   岩肌しかと 重くせり
伊予の風景スケッチ

久万高原

冬ざれや  歳ふりてなお 見えしもの
愛媛県展望

松山市紹介

石手寺と衛門三郎 当院は松山市の東南、四国八十八か所のうち51番札所・石手寺のそばに位置します。 石手寺は奈良時代の創建ですが、その縁起については遍路の元祖とされる衛門三郎の転生物語があります。 813年に弘法大師が伊予の...
伊予の風景スケッチ

緑陰

緑陰や  10年を軽々と 過ぎゆけり
愛媛県展望

四国八十八カ所

仏教は突然訪れた訪問者 四国八十八カ所をめぐる人々が皆、空海の遺徳を偲んで旅しているわけではありません。 挫折感に打ちひしがれ、心の安寧や立ち直るきっかけを掴みたいという人、信仰によって病気を治したいという人、亡き人を偲ぶ弔いの...
記憶に残る伊予人

幕末の四賢侯 伊達宗城(だてむねなり)

たとえばわが国が今から260年間、外国と国交を断ち、あらゆる海外情報をシャットアウトしたとしよう。 260年後に会った外国人は異星人のごとく理解の範囲を越え、対応に苦慮するに違いない。 伊達宗城たちが置かれた状況はこれに近い...
記憶に残る伊予人

最後の伊予大洲藩主・加藤泰秋

東京遷都 明治元年9月、若干22歳の伊予大洲藩主・加藤泰秋は明治天皇一行の東京行幸(事実上の遷都)にあたり、その前がけ(行列の先頭)を務めることとなった。 長年尊王・勤皇にいそしんできた加藤 泰秋にとって眩しいばかりの栄誉であっ...
伊予の風景スケッチ

湯築城址

もののふの  通いし道や 冬深む
伊予の風景スケッチ

石手川ダム

万緑や  なみなみと夢 湛えたり
伊予の風景スケッチ

炎昼

炎昼 の  街中を朱に 染めあげし
記憶に残る伊予人

日本初の女医を育てた二宮敬作

シーボルト 二宮敬作は仁義に篤く、礼節をわきまえ信に足る人物であった。 幕末、八幡浜市保内町の寒村に住む少年がいかにしてこのような教養を身につけたのであろうか。 当時、この村にも儒教の教えは浸透していたようである。 ...
伊予の風景スケッチ

杖ノ淵公園

池の音の  たおやかにして 春の暮
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