愛媛県展望/EHIME

新居浜市紹介

新居浜市紹介

新居浜市紹介

新居浜市一帯は奈良時代、神野郡と呼ばれましたが、平安期に新居郡となり、その後は海岸に近い北部を新居浜と呼ぶようになりました。

鎌倉時代からは西条市と同じ金子氏の傘下で繁栄しましたが、天正13年、羽柴秀吉の攻撃をうけ金子氏は滅亡。その後江戸時代に入り、新居浜は西条藩、小松藩、天領の分割統治となりました。

新居浜一帯は農漁村にすぎませんでしたが、元禄3年(1690年)綱吉の代に、住友が経営する吉岡銅山(岡山県)の手代・田向重右衛門により、別子山中に銅の鉱脈が発見され、別子銅山が開坑しました。その後は順調に発展を遂げ、1973年(昭和48年)別子銅山が閉山するまで280年間、新居浜市は四国を代表する工業都市という地位を保ってきました。

 

明治時代には12の村に分かれていましたが、昭和12年、新居浜町・金子村・高津村の合併により新居浜市が誕生しました。その後も次第に合併が進み、とくに昭和30年以後は、住友企業のコンビナート基地として、39年には東予新産業都市の指定を受け、四国屈指の臨海工業都市となりました。また昭和60年には、人口13万の県下第2(現在は第3)の都市となりました。

 

企業城下町

世界一の産出量とも言われた別子銅山の発見以後、この地で住友家が開発を進め、住友化学・住友重機械など住友グループ各社が、この地で生まれました。

たとえば住友化学は、1913年、銅製錬による煙害を避けるため、亜硫酸ガスから肥料の製造を目指して設立。石油化学、エネルギー・機能材料、情報電子化学、健康・農業関連事業、医薬品の分野で研究開発が進んでいます。

住友重機械工業は別子銅山での創業以来、変減速機、プラスチック加工機械、産業用クレーン、油圧ショベルなどの産業機械を中心に開発が進んでおり、住友金属鉱は金・銅・ニッケルなどの非鉄金属を中心に、「世界の非鉄リーダー」を目指して資源開発をおこなっています。

また、住友精密工業は航空機装備品、熱交換器や油圧制御、オゾン発生装置や半導体製造装置を、 住友建機は油圧ショベル、金属スクラップ仕様機、林業仕様機や道路舗装機などで、社会基盤の整備に寄与しています。

さらに、住友精化は、紙おむつ用吸水性樹脂、化粧品用ポリマー製品や医薬関連製品、エレクトロニクスガスや酸素ガス発生装置を、また住友電設グループは、電気工事、情報通信工事をはじめ、電力、空調、プラント等の設備工事をおこなっています。

 

このため新居浜市は、住友グループの企業城下町といわれるほどになり、大手企業の東予支店が多く立地しているため、東予地方の中心都市という評価をうけています。

市の東北部にある多喜浜地区は、江戸時代には多喜浜塩田として繁栄しましたが、塩田が廃止された後は工業団地が建ち、また海港には製造・物流・卸売の事業所が進出し、市の繁栄の一翼を担っています。

 

マイントピア別子

マイントピア別子は、日本三大銅山のひとつであった別子銅山の産業遺跡を活かした観光施設です。

現在旧別子銅山は、山に入ってほどなくの「端出場(はでば)地区」と、そこから険しい山道を10kmあまり上った先にある「東平(とうなる)地区」に分かれて保存されています。

端出場地区には、もともとは採鉱本部が置かれていましたが、現在そこには「道の駅マイントピア別子」という施設があり、観光用の鉱山鉄道や坑道に入ることができます。

 

東平地区は標高750mの山の中腹にある採鉱現場でした。

最盛期には5000人の人たちが居住しており、小、中学校ばかりか娯楽施設まで揃い、明治末期から昭和43年まで鉱山の町として賑わいました。

東平の別子銅山跡には重厚な花崗岩造りの貯鉱庫や、端出場と東平を結ぶインクライン(傾斜面を走る軌道)跡、赤レンガ造りの東平索道停車場の遺構などが残されており、現在もその産業遺産を十分堪能できるため、「東洋のマチュピチュ」と呼ばれています。

 

新居浜太鼓祭り

毎年10月16日から3日間、おこなわれる新居浜市の秋祭りであり、徳島の阿波踊り・高知のよさこい祭りと並ぶ四国三大祭りとしても知られています。

新居浜地方の太鼓台が記録上確認されるのは、江戸時代後期、文政年間のことで、もともと豊年の秋を感謝して氏神に奉納していたものといわれます。

太鼓台は明治時代初期までは、子供太鼓台程度の大きさでしたが、別子銅山の開坑による発展に伴い明治中期から徐々に大型化していきました。

また、注目度が高まるにつれ、地区同士が対抗意識を燃やして体力自慢を見せるようになり、太鼓台は大きく豪華絢爛なものに変貌していきました。

 

ところで、太鼓祭りの最大の見どころは、何といっても「かきくらべ」ということになります。

通常は車輪を付けて運行されていますが、かきくらべでは、車輪を外し、重さ2.5トンの太鼓台を約150人のかき夫の力で担ぎ上げます。

 

太鼓のリズムに合わせてかき棒を揺すり、房を綺麗に揺らす「房割り」や、一斉に太鼓台を頭上高く掲げる「差し上げ」、地面に置いた状態から一気に頭上高く掲げる「一発差し」、太鼓台をかき夫の肩に担いで練り歩く「除輪」、走る「小勇み」、差し上げたまま太鼓台を回転させる「差し回し」、そのまま放り上げる「放り上げ」、放り上げた後差し上げたまま止める「放り差し」など、10種類以上のパフォーマンスを競うのです。

 

じつに勇壮な祭りではありますが、太鼓台のかきくらべだけでは終わらず、太鼓台同士をぶつけ合う危険な「鉢合わせが過去に何度もおこり、死傷者も出ているため、毎年、県は機動隊を投入して警戒にあたっている状況です。

ただ、全国的には鉢合わせを伝統行事として黙認する都市もあり、市としても今後の取り扱いに結論は出せておりません。

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