村田珠光の求めた「不足の美」

 

若いころの珠光は諸国を放浪する僧侶で、縁あって連歌師で画家の能阿弥と親交をもった。おかげで連歌の会にも足繫く通い、多くの歌詠みに知己を得た。

連歌は単に歌を詠むだけではない。その場では香も焚かれ、花も生けられ、茶の湯もおこなわれていたらしい。

能阿弥は連歌のほか、水墨画、花道、香道、唐物の鑑定すべてに精通し、茶の湯も書院飾りの完成、台子飾りの様式の制定を行うほどの実力者で、珠光は彼から茶道をはじめ、多く知識を学びとった。

当時連歌の世界では、心敬僧都(宗祇の師)による冷え寂びたる世界こそ、目指すべき方向とされていた。

珠光はこの冷え枯れた世界に衝撃をうけ、次第にのめり込んでいったとおもわれる。

 

風狂のひと 一休宗純

さらにこの頃、珠光は「一休さん」で知られる一休宗純のもとに参禅していたようである。

一休宗純は逸話多き人物で、当時の仏教界の枠組みからは逸脱した存在である。

彼は後小松天皇のご落胤といわれ、幼少より挫折感を味わいながら、正面とは異なる角度から人生を見ていたように思われる。したがって、若くして人生を見切ったような世界にいる。

あるとき、師事する大徳寺の高僧、華叟宗曇(かそうそうどん)から与えられた「洞山三頓の棒」(お前はどこから来て、どこにいるか)という公案に対し、「有漏路(うろぢ)より無漏路(むろぢ)へ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」と答えた。

この世は有漏路(煩悩)から無漏路(悟り)の世界への一休みのようなものだ。雨が降るなら降るがよい。風が吹くなら吹けばよいとの意で、宗曇は大いに頷き、彼に一休の号を与えたという。

またある夜、一休はカラスの鳴き声を聞いて俄かに大悟したといわれる(暗闇のカラスは声でそこにいると分かる。仏もまた、目には見えなくても私の心の中にいるとの意)。

 

以来、一休は奇抜な風袋で街にあらわれ、民衆の中に入り布教に努める一方、飲酒や肉食、男色、女犯を冒すなど、破戒僧ともいうべき行為も平然とおこなった。

禅宗で風狂と呼ばれる、固定観念や執着を取り去った世界に身を置いたがゆえの所業といわれる。

それにもかかわらず一休が民衆に好かれたのは、彼らとの間に垣根をつくらず接したこと、権力や金に無頓着でそれらに近寄らず、嬉々として清貧に甘んじたためと思われる。

 

閑話休題。はなしを珠光に戻す。

珠光は座禅三昧のなかで、余計なものをそぎ落とし、ひたすら本質に迫ろうとする努力を続けた結果、「仏は心の中にある」という認識に達し、その精神は茶も禅も同じ茶禅一味という悟りを得た。

そのうち、京に応仁の乱が勃発すると珠光は大和国に戻り、東大寺の近くに草庵(わずか四帖半の茶室)を結び、そこで静かに茶の湯三昧の日々を送った。枯れさびた連歌の世界と、執着を捨て去った禅の世界を茶室のなかに表現しようとしたのである。

応仁の大乱というすさんだ世の中で、珠光の生き様は世間から憧憬されるようになり、豪族、商人、僧侶など身分を問わず多くの人々が足繁く草庵を訪れたという。

 

心の師の文

のちに珠光は、まな弟子・古市澄胤に与えた通称「心の師の文」と呼ばれる文書のなかで、連歌に由来する「冷え枯るる」について述べている。

かるる(枯るる)ということは、よき道具を持ち、その味わいをよく知りて、心の下地によりて、たけくらみて、後まで冷え痩せてこそ面白くあるべきなり。

(枯れるということは、良き道具をもち、その味わいを知り、心の成長に合わせ位を得、やがてたどり着く「冷えて、痩せた境地」で、それが茶の湯の面白さなのだ。)

 

銘道にいはく、心の師とはなれ、心を師とせされ、と古人もいわれしなり。

(この道の至言として、己の心を導く師となれ 執着にとらわれた心を師としてはならないという。)

 

不足の美

また能楽師・金春禅鳳の『禅鳳雑談』のなかに、珠光の物語とて 月も雲間のなきは嫌にて候 これ面白く候」の一文がある。

つまり、月は満月よりも雲間に隠れつつ眺めるほうが風流でよいというのである。

 

これは鎌倉時代の兼好による徒然草の一節を意識したものである。

 花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。雨に向かひて月を恋ひ、垂れ籠めて春の行方知らぬも、なほあはれに情け深し。咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころ多けれ。

(花は満開、月は満月だけを見るものではあるまい。降る雨を眺めながら見えぬ月のことを慕い、すだれを垂らして部屋に籠り、春が行き過ぎるのを知らずにいるのも、しみじみとして情趣が深い。今にも咲きそうな梢、花が散ってしおれている庭などにも、じつに見るべきものがある。)

 

また、山上宗二記に珠光の言葉として藁屋に名馬をつなぎたるがよしとある。

つまり、藁を積んだ粗末な小屋に名馬という不完全な取り合わせこそ、趣があってよい。すなわち、粗末な座敷に名物を置くという取り合わせに趣があるというのである。

 

いずれも、完全なものよりも、むしろどこかバランスが欠けた不完全のなかに美を見出すという思想である。

完全なかたちでは得られなかったおやっという心の動き、そこから生まれる不思議な感動を大事にしようというというのである。

 

この不足の美ともいうべき美意識を茶の湯にとり入れた珠光の精神は、その後、彼の流れをくむ武野紹鴎に、さらにその弟子千利休へと引き継がれ、侘び茶として完成されていくのである。

 

 

 

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