INTERESTING-JAPANESE

興味深い日本人

歴史の変動期に現れた興味深い日本人を採り上げてみました。

子規の覚悟

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子規の覚悟

「食べないと死んでしまうよ」と言って、死期の迫った人へ無理に食べさせようとする光景を散見するが、内科学の大家ハリソン先生の指摘されるごとく、「ひとは食べないから死ぬのではなく、死が迫ったから食べないのだ」というのが真相だろう。 子規の食欲 ...
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富永仲基の仏教観

法華経も阿弥陀経も釈迦の仏教でなく、後世の人の作だといったのは、大阪の町人・富永仲基(なかもと)である。 彼の棲んだ江戸時代、幕府が容認している仏教に対して、釈迦が始めたものではないと声を出すのは、身の危険を覚悟の上である。しかも当時のよう...
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山本権兵衛、東郷平八郎を後継指名

山本権兵衛の面構えは尋常でない。生来気性が激しく、青年時代から敵を射すくめるような鋭い視線に、相手は思わずたじろぐほどで、幾星霜を経てもその眼光に翳りはない。 信念を曲げず、口にしたことには責任をもち、潔いこと、終生変わらなかった。薩摩武士...
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運慶のリアリズム

建仁3年(1,203年)は運慶にとって記念すべき年となった。東大寺南大門に巨大な金剛力士像が完成し、運慶は僧侶の最高位・法印に任ぜられたのである。 すでに治承4年(1,180年)、平重衡(清盛の子)が、ことあるごとに平氏に反抗的な奈良の仏教...
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信長の視点

信長の魅力は、周りに惑わされず、何事も自分で決するという小気味よさにある。 信玄や謙信が孫子の兵法を学ぶのを横目で見ながら、他人のやったことを見ても何の役にも立たぬ。目の前の問題に答えが用意されているわけではない。答えは俺が示してやるといわ...
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井伊の赤備え

家康、武田旧臣を召し抱える 武田の猛将、山県昌景が赤備えで天下に名をはせたが、武田家滅亡のあと、家康は武田家旧臣を多数召し抱えた。 かつて家康自身、三方ヶ原で完膚なきまでに打ちのめされた思い出がある。その象徴ともいうべき赤備え軍団を手中にし...
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異色の上皇 ”後白河上皇と後鳥羽上皇”

治天の君 現役の天皇が次の天皇を意中のひとに継がせるため、早めに天皇を辞して上皇となり、若き天皇が育つまで後ろから操る傀儡政権の仕組みを、院政と呼ぶ。 院とは上皇のこと。したがって院政をしいて権力を振るう上皇は「治天の君」と呼ばれた。最高権...
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”鯨海酔侯” 山内容堂

土佐勤王党から実権を奪取 文久2年、江戸に幽居する山内容堂は片腕と頼む吉田東洋が暗殺され、土佐勤王党のへの憎悪を募らせていた。 もともと彼は、幕府のおかげで奇跡的な幸運を得て藩主となった経緯がある。幕府には人一倍恩義を感じていた。 したがっ...
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西行の旅

愁眉の急 ”大仏殿復元” 69歳の西行に勧進のため奥州へ旅立ってくれと言ったのは、東大寺造営責任者の重源である。時は平安末期の1186年である。 そのころ西行は伊勢にいて、地元の神官たちに和歌の指導をしている隠者であり、当時69といえば、ほ...
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明恵の夢分析

8歳で孤児となる 頼朝が平氏打倒を掲げて伊豆で挙兵した時、8歳の少年・明恵の周りにも激変が起こった。母が病死したのに次いで、平氏の武士であった父・平重国も源氏との戦で戦死し、一朝にして天下の孤児となったのである。 鴨長明によれば、この年は大...
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三島由紀夫の唯識

割腹自殺 大学4年(昭和45年)の秋、昼食をとっていると臨時ニュースが流れ、「三島由紀夫の暴挙」が報じられた。彼が楯の会の4名と陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地を訪れ、隙を突いて益田総監を人質に取り籠城。バルコニーから檄文を撒き、自衛隊員へクーデター...
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細川ガラシャと息子たち

今では細川ガラシャが通り名となっているが、それは明治維新、わが国でキリスト教が公認されて以来である。 江戸の終わりまでは細川たま(珠、玉)と呼ばれており、母は明智光秀の後添いであった。 父・明智光秀の苦労 父光秀は美濃の斎藤道三に仕えていた...
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タフネゴシエーター・大隈重信

佐賀藩の徹底教育 幕末、幕府の呑気さを後目に、諸藩の勉学熱は尋常でなかった。とくに薩摩、長州、佐賀、越前、宇和島の各藩は熱心であり、なかでも佐賀藩の意気込みは突出していた。 藩士の子弟は7歳になれば藩校弘道館に入学する。16になると高等教育...
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徳川慶喜の武士道

慶喜、15代将軍に 家茂の死から5ヶ月が経過した慶応2年12月、執拗に将軍職を固辞していた慶喜が第15代将軍職に就任した。 「死に体」と揶揄される幕府を立て直し、アメリカなど外国勢力の攻勢をいかに防ぐか、国内では薩長連合とのつばぜり合いをど...
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世阿弥の求めた“花”の美学

歌舞伎の坂田藤十郎がはまり役とはいえ、「曽根崎心中」のお初を演じて62年、ついに公演1,400回に達した。 カーテンコールで「山城屋っ!」の掛け声が飛ぶほどの好演だったという。 とはいえ齢83である。どこの世界にこの歳の老人が生娘を演じて当...
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大久保利通の東京遷都

大政奉還という奇手 慶応3年、徳川慶喜は大政奉還という奇手をうって、薩長の出鼻をくじいた。 倒幕の密勅を得て意気盛んな大久保、西郷は、猫だましを食らったように腰が砕け、武力行使ができなくなった。 欧米列強がわが国を虎視眈々と狙っている今、大...
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家康の旗印

天台宗寛永寺と浄土宗増上寺 家康は江戸に幕府を開くにあたり、京都の朝廷に対抗して天台宗の大寺を建立しようと計画し、家光によって東叡山寛永寺が完成した。最も権威ある天台宗・比叡山延暦寺を意識してのことである。 家康自身は浄土宗であるから、これ...
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瀬戸磁器の祖 加藤民吉

有田焼の祖  李参平 日本初の白磁を焼いたのは陶工、李参平である。秀吉の朝鮮出兵の捕虜として来日した。17世紀初頭、有田地区の泉山に白磁鉱を発見し、ここに窯を開いて人々から「陶祖」とあがめられ、有田焼の祖となった。 柿右衛門の濁手(にごしで...
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天心の「茶の本」

岡倉天心とボストン美術館 今ならボストン直行便があるから問題ないが、100年前はそうはいかない。 西海岸のサンフランシスコやカルフォルニアとは比べられぬほど、ボストンは遠い。何日もかけてアメリカ大陸を横断しなければならない。いざボストンとな...
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松陰の死生観

幽囚録 「今急武備を修め、艦略具はり礟略足らば、則ち宜しく蝦夷を開拓して諸侯を封建し、間に乗じて加摸察加(カムチャッカ)・隩都加(オホーツク)を奪ひ、琉球に諭し、朝覲会同すること内諸侯と比しからめ朝鮮を責めて質を納れ貢を奉じ、古の盛時の如く...
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空海の世界

われわれ日本人がもった天才と呼ぶにふさわしい人物といえば、どうしても空海の名を挙げざるを得ない。ひとりで真言密教を構築して高野山に一大密教教団を組織し、京の東寺、奈良の東大寺の別当を兼ねながら、密教理論に多くの著作を残した。 また、書・絵画...
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古文辞学の祖 荻生徂徠

朱子学の大義名分論 中国において儒教は紀元前1世紀、漢の時代に国教となったが、その後外来の仏教に圧倒され鎮火していた。 10世紀、宋の時代になって官僚を中心に儒教復活の機運が盛り上がり、13世紀になって朱熹によって朱子学が完成した。庶民では...
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勝海舟の見識

西郷、勝の見識に圧倒される 勝が西郷隆盛と初めて会ったのは元治元年(1864年)9月、大阪である。西郷は第1次長州征伐で幕府の消極的な戦闘準備を不満とし、軍艦奉行である勝の意見を求めに来た。 このとき勝は、今は自分の藩の利害などを考え内部抗...
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竜馬と後藤象二郎

象二郎、竜馬と手を組む 慶応3年の土佐藩はとりわけ多忙である。 その年の1月、後藤象二郎が長崎にやって来たのを知った亀山社中の面々は、竜馬に土佐勤王党の仇敵である彼を斬ろうと気色ばんだ。 ところが実際竜馬が会ってみると、意外にも馬が合った。...
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そうせい侯 毛利敬親(たかちか)

戊午(ぼご)の密勅 米国との通商条約を朝廷の許可を得ずに結ぶとは何事かというのが水戸・尾張・越前藩主ら一橋派の抗議である。 安政5年4月、大老となった井伊直弼は、話しの内容はともかく彼らが許しも得ずに登城したのは不敬の至りであるとして、強引...
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