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日本史ひとこま

正親町(おおぎまち)天皇のこと

戦国時代

戦国時代

正親町(おおぎまち)天皇のこと

頼朝が鎌倉に幕府を開いて以来、我が国の国土は朝廷と鎌倉幕府で二分され、鎌倉の勢力が徐々に凌駕する勢いにあった。 これに反発する後鳥羽上皇は、天下の宝刀「院宣」を発すれば全国の武士はこぞって京へ参集するものと考えた。そこで、意を決して鎌倉に挑...
戦国時代

秀吉、家康が恐れた男・黒田官兵衛(如水)

関ヶ原の戦いのあと、帰国した黒田長政が、父・官兵衛に戦勝報告にやってきた。 「この度の勝利はひとえに甲州殿(長政)のはたらきによるものである。この功に何事をもって報いるべきといって、家康殿は自分の手を3度もとって感謝してくれました」と、長政...
戦国時代

細川幽斎の処世術

戦国期における細川幽斎の名は、戦国武将のあいだに特別な響きがあったとおもわれる。 剣術、弓術の達人であるばかりか、和歌・茶道・連歌に精通し、鯉料理の達人にして囲碁や猿楽にも造詣が深い、人もうらやむ風流人である。 幽斎は足利家一族の出身であり...
戦国時代

細川幽斎・忠興父子の身の処し方

細川藤孝(幽斎)のように才気ばしった男は、まわりがよく見えるだけに、人より先に行動してしまうため、かえって墓穴を掘ることが少なくない。 毎日が命がけの激動期には、このような人物が長命を保つことは稀である。 藤孝は足利義昭を皮切りに、信長、秀...
戦国時代

太閤はんの大阪城

その昔、大阪の地は海のなかにあった。そのなかで南北に丘陵をなす上町台地だけが、半島のごとく海に突き出ていた。台地が盛り上がったのは、豊中から岸和田に至る断層の動きによる。 上町台地の東側にある河内湾と西側の大阪湾には、長い年月を経て、淀川・...
戦国時代

豪勇、佐々 成政(さっさ なりまさ)

これ以外生き延びる手はないという危機的状況でなければ、だれも真冬の北アルプスを横断するなどという、無謀な冒険はしないはずである。 ところが400年も前にその無謀に挑んだ男がいる。富山城主・佐々 成政である。 戦国期の動乱のなかで、成政は切羽...
戦国時代

近江守護・京極氏のことなど

室町幕府は守護大名の連合政権といえる。 幕府本体が頼りないため、有力守護は政権維持のために、やむなく郷里を離れ京に住まなければならなかった。 このため守護は、自分の領地の経営を他人に任さなければならなくなり、ついには領主の地位を乗っ取られて...
戦国時代

千代の深謀遠慮と家康

秀吉が逝去したあと、家康は頭が痛かった。 自分の齢を考えると、天下を窺うに時間はさほど残されていない。 このまま争乱もなく、平和が続くようなことになると大変である。 覇権を握るためには、秀頼を支持する勢力を、なんとしても短期間に抹殺しなけれ...
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