明治

幕末

水戸学のジレンマ

水戸家は徳川御三家の一つで、唯一江戸に常勤し将軍を補佐する副将軍である。 その水戸家が幕末にいたり、将軍家にとって獅子身中の虫になってしまった。 すなわち水戸学なるものがあろうことか、倒幕派の思想的支柱になったのである。 その発端は水戸黄門...
幕末

島津久光のジレンマ

万延元(1860)年桜田門外の変で井伊直弼という強烈な個性を失って以来、幕府は政治の舵取りを失い迷走状態となった。 さらには外国の威圧に腰砕けとなって、さかんに朝廷の顔色を窺うようになった。 公武合体はこの弱腰からでた理屈で、もはや幕府が自...
江戸時代

時代を先駆けした田沼意次

儒教は農業を基盤とした世界であって、商業では決してない。 まして士大夫たる武士が商売に携わるなど、想像だにできぬことであった。 そういう観念で頭ががんじがらめになっている江戸城に、突然ふって沸いたように、商業で幕府の財政を立て直そうとする人...
幕末

鯨海酔侯(げいかいすいこう)

文久2年、江戸に幽居する山内容堂は片腕と頼む吉田東洋が暗殺され、土佐勤王党のへの憎悪を募らせていた。 もともと彼は、幕府のおかげで奇跡的な幸運を得て藩主となった経緯がある。 幕府には人一倍恩義を感じていた。 したがって時流が倒幕に向かってい...
江戸時代

甲子夜話(かっしやわ)

文政4年(1821年)11月17日、甲子(きのえね)の夜、平戸藩の元藩主、松浦(まつら)静山は親友、林大学頭(だいがくのかみ)の勧めにより、心にとどめた日常の出来事を日々書き留めることとした。 62歳のことである。 以後20年間毎日欠かさず...
四季雑感

もはや住むべき土地はないか

久しぶりに地球儀をみて、あらためてわが国の狭小なることを思った。 その狭き土地のことである。 都会では、目の覚めるような高値で平然と売りに出されているが、住むべきところはもう僅かだと聞くと、なんとしても欲しくなるものらしい。 室町のおわりま...
幕末

切腹の美学

土佐勤王党の領袖・武市半平太が壮烈な三文字腹で切腹したのは、慶応元年5月、陽が落ちて篝火の焚かれる時刻であった。 土佐勤王党は武市が”一藩勤皇”を唱え、下級藩士・郷士200名を擁して成立した。 これに対し土佐藩参政・吉田東洋は、安政の大獄の...
明治

廃刀令の皮肉

剣術は戦国期以来、沈下していたが、幕末にいたり一気に興隆し、江戸市中には500の剣術道場ができたという。 ところが明治維新とともに再び剣術は廃れた。なにより廃刀令である。 ちょん髷を切り着物も草履も脱ぎ捨てれば、洋服に革靴を履いて刀をさすわ...
幕末

桂小五郎(木戸孝允)の英知

先般、料理名人のS氏から出石そばをいただいた。 彼自身蕎麦打ち名人であるから、不審な顔をすると、その昔彼が修行に行った先だというから相当なものと判断した。 出石そばの出処は信州である。 徳川中期、松平氏に代わり国替えとなった信州上田の千石氏...
明治

増田宋太郎の涙

明治10年、西南戦争が勃発し、中津藩(大分県)からは増田以下同志64名が薩軍に参加していた。 半年後戦局は決し、薩軍が可愛嶽から鹿児島に落ち延びようとしたときである。 隊長の増田が同志に向かって言った。 「薩人は故郷鹿児島で死のうとしている...
明治

臥薪嘗胆

臥薪嘗胆は日清戦争後のわが国にとって、国民の合言葉となった。 日清戦争を制して遼東半島を領有した日本に対し、南下政策をとるロシアが、有無を言わせず遼東半島を強奪したのである。 日本の面目は丸つぶれである。 しかし、たかだか20万の兵力しかも...
幕末

龍馬無念

龍馬を殺害したのは京都見廻組の今井信郎(のぶお)といわれる。 彼は20歳で免許皆伝をうけた直心影流の達人で、幕府の剣術教授を勤めていた。 5尺8寸(175cm)の頭上から振り下ろす片手打ちは向かうところ敵がなく、師匠より禁じ手とされたという...
四季雑感

江藤新平の無念

先日はじめて佐賀を訪れる機会があった。 年来の友人に佐賀人がひとりだけおり、実直なひとだけに、なんとなく佐賀の印象がよかったのである。 強いて言えば、有田の焼き物と呼子のいかが目的の旅である。 福岡から佐賀へ入ると、一面の山野は緑に輝き、人...
日本人風雅考

技術について その1

近年、若き臨床医の目線は、間接的手法を飛び越え、直接、病変に迫る診断・治療へ一目散に向かっている感がある。 現実的とも短絡的とも揶揄される。 内視鏡の世界も目まぐるしい。 胃腸はいうに及ばず、肝臓・胆管・すい臓・膀胱・尿管・子宮へと次々にカ...
四季雑感

土佐の異骨相(いごっそう)

学会で6年ぶりに高知を訪れ、25年前、高知の東南、安芸市で青春時代を過ごした当時の仲間と旧交を温めた。 仲間から、初めて土佐に来たとき何が印象的だったか?と聞かれ、自分の歓迎会の席で、揃ってコップ酒で乾杯してくれたことと答えた。 はたちそこ...
興味深い外国人

日本軍司令官 トルシエ氏

日本対ベルギー戦の瞬間視聴率は66%であったという。ロシア戦もおそらく同様であったに違いない。 とにかく、降って沸いたように俄かサッカーファンが現れ、テレビの前に集合したからこの高視聴率がうまれたわけで、連日ワールドカップのニュースを流しつ...
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